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September 2092005

 ヒチコックの鴉ミレーの落穂かな

                           宮崎晴夫

鳥
語は「落穂(おちぼ)」で秋。稲刈りの後に落ち散った稲の穂。昔は落穂ひろいも農家の重要な仕事だったが、今ではどうなのだろう。句では、収穫後の田圃に人が出て、やはり落穂をひろっているのではあるまいか。周辺には、何羽かの鴉(からす)が飛んだり止まったりしているのが見えている。まことに長閑でおだやかな光景だ。だが、その牧歌的な眺めも、作者のようにふっと何かを連想することで、たちまち不吉な予兆を帯びた情景に変貌してしまう。こうした句では、何を連想するかが句の良し悪しの分かれ目となるが、私にはなかなかにユニークな連想だと思われた。「ヒ(ッ)チコックの鴉」とは、映画『鳥』(1963)に出てくる鴉だ。この映画は、普段は人間に何の害も及ぼさない野生の鴉や雀らが、ある日突然わけも無く人間に襲いかかってくるという動物パニック映画の傑作だ。とくに大きくて真っ黒い鴉たちが、だんだん周辺に数を増やしてくるシーンには非常に不気味なものがあった。作者はその様子をミレーの絵『落穂ひろい』にダブらせて連想し、熱心に落穂をひろう三人の女たちが顔を上げると、もはや周囲は鴉の集団に包囲され、真っ黒になっている図を想像している。一種の白日夢ではあるけれど、鴉の邪悪が農婦の敬虔を脅かす予感は十分にドラマチックだ。ただし、こういう句は一句詠んだら、それでお終いにしたい。バリエーションは可能でも、詠むほどに面白みが減っていくからだ。『路地十三夜』所収。(清水哲男)




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